猫は人間を見分けている?

うちの近所に真っ白い野良猫が居ます。

私が今の住まいに住むようになってもう15年以上経ちますが、その前より今の場所に住み着いているようで、特に最近は頻繁に見かけるようになり、その存在に私が気づかず通り過ぎようとすると向こうから声を掛けてくるほどです。

もちろん誰彼構わず声を掛けているわけではなく、きちんと道行く人の顔を見て声を掛けているようなのです。

私みたいにたまにしか顔を見せないのに私と知れば必ず呼び掛けられることもあれば、いつもそこを通りお互いにその存在がわかってるのに全く声を掛けてもらえないという例もあります。

野良猫ですから私は簡単に餌をあげたりなどしていません。

特に何を世話してやっているわけでも無いのですが、何故か気に入られてそれ以来ずっとこんな関係です。昼も夜も、雨が降ってても雪に降られても、私の顔を見れば何処からともなく姿を見せて来るのです。

ある時など、酷い花粉症で鼻まで多い大きいマスクをしていたにもかかわらず、やっぱり私だと判ってそこいらの茂みから出てくる。これはもう明らかに人を見分けているとしか思えません。

「猫はあまり目が良くない代わりに耳が良い」とは良く言われます。帰宅する飼い主の足音を聞き分けて玄関先で待ち構えているというのは猫の生態の中でも良く知られた生態です。

でもその猫が居る場所は結構人通りも車の通行量も多い場所で、とても耳を澄まして音を聞き分けられるような環境ではありません。

夏になれば薄着になりますし冬場は厚着をします。

髪だって長くなれば切りますし帽子だってかぶるわけです。

人間の見た目なんて猫からは信じられないほど目まぐるしく変わる動物なのです。

初見で覚えた見た目なんて次見たときには変わっているのは当然なのでそんなもの何の役にも立ちません。

猫の嗅覚も人以上且つ犬並みに優れているのも良く聞きます。

しかし人も車も多いということはその分においの発生源も多いということです。

様々なにおいがごった煮になった状態の街中で、特定のモノだけを瞬時に嗅ぎ分けるのは困難なことに違いありません。

そうした私の仮説を嘲笑うかのように、件の野良猫は今日もあの雑踏の中から見事に私だけを見分け、愛らしい姿を見せてくれました。

「今日は何してくれるの?」

「いや・・・してあげられることなんて何もないんだけど」

「じゃあ適当にスリスリするわ」

「ええ・・・」

いつもこんな感じの遣り取りです。

私にしてみればいつもいつもこうやって纏わり付かれるので正直迷惑、一方の猫も猫で毎回毎回こんなことだけしていい加減私に飽きられないか、ギリギリの攻防が繰り返されています。

この地域に野良猫はたくさんいますが、その殆どは私の顔を見るだけでさーっと一目散に逃げるだけ。スリスリどころか触らせてもくれません。

一体私の何をこんなに気に入ってくれたのか。

そんな彼(彼女?)ですが、一通りスリスリした後は明らかに「飽きた」反応を見せるときがあります。

そこが別れどきなので、そっと私がその場を離れようとすると、「え?もう行っちゃうの?」という寂しそうな表情をします。

いやあんた飽きたでしょ明らかに私に。

するとコイツは別のかまってくれる相手を探そうとします。実は私みたいに懐きモードを見せる人間は他に何人かキープしていて、その人間が通るまで何処かでじっと身を潜めて待つのです。

と言うより、私にスリスリしている間中ずっと次のターゲットを意識して探しているみたいで、特にエサをくれそうな人間が近付くと、途端にだあっと駆け出してその人間のもとに擦り寄るわけです。私はつなぎ役よろしく置いてきぼりに。

猫には好きな人間と嫌いな人間が居ると言いますが、むしろ猫たちは自分たちに興味のない人間にほど懐き、私みたいに猫が好きで好きでしょうがないような人間には逆に心を開かないとも聞きます。

ソプラノボイスかハスキーボイスかの違いもあると言います。

つまり人間の発する音声の音域が高い人ほど猫に愛されやすいということです。しかし私は従前たる日本人男子で声はお世辞にも高くはないのでこれだけでも嫌われる要素満載なのです。

つまるところ、私は「猫に嫌われる要素だけで構成されている」ような人間の代表例であり、普通にその辺歩いていたら確実に猫の方から避けられる存在、の筈です。

でも件の野良猫はそんなことお構いなしに私に身体を擦り付けてきます。他の猫が「うわあ・・・」というような反応を遠巻きに見せているのをよそに、この猫は私を見つけると飛び付いてくるのです。おかげでズボンの裾はいつも猫の毛だらけで洗濯が大変です。

そうは言っても、自分よりはるかに身体が小さく生活も環境も不安定な野良猫に好かれるというのは、やっぱり悪い気はしません。

もしかしたら猫たちは、彼らにとっては充分に長い一生の中で「自分たちと接しても気を悪くしない人間」をきっちり見分ける術を「文化」として子孫代々に重ね伝えて行っているのかも知れません。

そうでなければ説明のつかない場面や仕草が猫たちにはあまりに多過ぎるのです。